歴史ロマン~箕輪郷福与
福与地区には、長野県史跡の一つであり、前回の信濃 松島城の松島氏とも関係があった福与城跡があります 。
城の創設は鎌倉時代と伝えられ、城主については不明だが、天文年代 (1532年~1555年) には、箕輪郷を拠点にしていた藤沢頼親(ふじさわ よりちか)が城主として勢力を張っていたそうだ。
しかし、度重なる武田信玄の伊那攻略により、ついに天文14年(1545年)、藤沢頼親は降伏。
上伊那諸士や義兄の小笠原長時、下伊那衆の援軍を待ちつつ壮絶な攻防戦の末、城主の実弟・権次郎を人質に差し出して和睦後、福与城は放火され廃城となったものの、徳川家康も恐れた武田の城攻めに、50日間も耐えた堅城として後世に語り継がれることになった。
その篭城戦のさなか、福与城勢は武田軍を圧倒し最大の攻防があった4月29日を記念して毎年、当時をしのび、勝利を喜ぶために「福与城址まつり」が行われます。
いろいろと楽しめる催しが盛り沢山とのこと。ぜひとも桜の咲く時期に足を運んでみたいですね。
そして取材した日、福与城跡まわりには、花の白いシロバナヤマフジでしょうか?
辺り一面ジャスミンに似たような甘い香りが漂い、滝のように垂れ下がって咲き誇り満開を迎えていて壮観。風が吹くたびに花びらが舞い落ちる。
地面を覆うように積もった白い花の上を踏みしめ、匂いに包まれながら歩くのもまた心地よい。
さて、福与城跡からさらに山側、車両通行不可の急な坂道を徒歩で登っていくと急に開けた広い場所にでる。
そこは今年、箕輪町観光協会主催のフォトコンテスト一般の部にて最高賞の推薦に決定した「福与棚田の夕暮れ」がある福与郷沢観音原です。
段々畑のような棚田が連なる途中に「観音原」と呼ばれる30基近い石造仏群があります。
なかでも如意輪観音浮彫坐像(にょいりんかんのんざぞう)は、宝暦13年(1763年)と最も古く、1個所に如意輪観音が6基もあるのは珍しいそう。
夕暮れではないが、山間の傾斜面に階段状に作られた水田(棚田)から見た風景。
青々とした若い稲が、緑色のカーペットのように連なる光景は、まるで田の上の芸術品ですね。
「東山山麓歴史コース」として、箕輪町の各地区には案内標識や地図等が整備されています。
城跡の他にも、遺跡、古墳、希少な由緒ある銘木など、探せば町内は史跡の宝庫であり文化財を知るのは面白い。
四季折々によって魅力あるところも変わるので、ぜひゆっくりと訪れてみてはいかがでしょうか。