ベルリンで物思いにふける

こんにちは。ワーカーのsaltufoです。

10月最後の日曜日にサマータイムが終わったので、現在日本との時差が7時間から8時間に延びました。こちらはかなり日が短くなってきています。

さて10月に秋休みがあったのでベルリンに行ってきました。

私の中では先駆的なイメージがある都市ですが、20世紀の歴史の中で大きな変遷を遂げた場所でもあるのでいろんな意味でかなり深い場所だと思っています。

Berlin ベルリン

ドイツの首都。北東部に位置します。人口約365万人(日本の静岡県くらい)面積は891k㎡(新潟県長岡市と同じ)

【豆知識】発音ですが3文字目の「r」を発音すると聞き取ってもらえないことが多いです。こちらの人は「ベーリン」や「ベァリン」と言っているように聞こえます。

トラムとテレビ塔

ベルリンの壁むかし話

Berliner Mauer(ベーリナーマウアー/ベルリンの壁)について今一度おさらいしてみましょう♪

【背景】1945年の第二次世界大戦後ドイツ全土は英・仏・米・ソ連の4ヵ国によって占領されます。経済復興計画に賛成した英仏米の領地(西側)と反対したソ連(東側)の領地の間に構築された壁の事です。

【壁ができた理由】経済復興の軌道に乗っていく西側と遅々として復興が進まない東側の間では生活水準の差も広がり、市民の間には不満や不安が広がっていったと言われています。 東側は特に言語統制や様々な規制が厳しく自由を求める若者や知識人、農民などが次々と西側に亡命して行ったようです。

その亡命をストップすべく、東ドイツ政府は秘密裏に計画を進め1961年8月の夜に壁は突如として建設されたと言われています。

それから1989年までの28年もの間、壁は存在し続けました。

いざ参る!

壁を訪れる事を実は少し緊張してましたが、市街地を車で通っている時に早々と痕跡を目にしました。パブリックアート(公共空間に設置されているアート作品)に遭遇したような感覚でした。

パッと見で分かってしまう説得力に心が奪われます。

壁と同じの高さの鉄の棒が、かつて壁があった場所と同じ所にあります。

壁があった事を示すプレートも発見しました。深くてつらい歴史があるのにこのような残し方はかっこよくてずるい。というのが私の正直な感想です。

壁は2枚ある

壁の高さは3mあり、1枚目を越えられても2枚目向かっている辺りで見つかったり発砲されるそうです。学校の授業で習った気もしないでもないですが、、すっかり忘れていました。東側には緩衝地帯があり場所によってセンサーが埋め込まれていたり障害物、訓練された猛犬、地雷、など西側にたどり着けない仕掛けがたくさん施されていたそうです。

西側に亡命できずに壁の犠牲となった人は136人。現在も花が手向けられていました。

中央に見える白い十字架に犠牲者の写真と赤いバラが添えられていました。

歴史を刻むことも残すこともこんなにアート的にやっていただいてとても嬉しゅうございます(なぜか身内目線)今回は時間の関係で博物館や資料館に行くことが出来ませんでしたが、次回訪れたときにまた歴史巡りをしようと思っています。

ではまた!

nächstes Mal!